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真壁に向かい国道50号を走っていると、、、、笠間市福原付近で何やら発見!
和菓子詰合せ1,000円の文字が見えた。
国道50号線は、意外に交通量の多い道路。
一度通り過ぎ、ぐる〜っと回って再度到着。
建物右側の看板には「一久庵」の文字 |
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左側には「萩原製菓」
ネット検索するも、「一久庵」はヒットせず。
「萩原製菓」で作って、販売は「一久庵」と会社を分けているのか?
結構、客の出入りが多く繁盛している様子。 |
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和菓子詰合せ千円
亀田製菓の壊れせんべい詰合せ千円
チョット得した気分!? |
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到着! |
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こんな街並みをブラブラ歩く。 |
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みんな通り沿いの家の玄関を覗きこんでいる。 |
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中には雛人形が飾られている。 |
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個人住宅まで覗いてイイの? |
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っと思ったら、小物の販売をしている。 |
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イシオ君だそうです。
イシオ君じゃ石岡市を思い出しちゃう。
ヌリカベみたいにして、真壁町の「マカベ〜」なんてのはどう? |
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数千年後、これが出土し「祭事用だ!」「いや、副葬品だ!」なんて大論争になってたりして・・。 |
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100年前のお雛様 |
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江戸、明治時代のひな人形
「撮影はご遠慮下さい」って書いてあるのに気が付かず平気で撮影している奥様
即行離れて他人の振りをした俺(^_^;) |
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俺は、この中にあるYAMAHA V-MAXのサイドカー付きの方が気になる。 |
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「うまかべすいとん」試食コーナー
当然並ぶ
誘導しているのは商工会の人らしい。
・期間中は毎日やっている。(限定数百食?)
・1か月もあるので、最後の頃はヘロヘロになる。
との事。 |
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うん!これは、おいしい!!
でも、お店によって味はそれぞれとの事。 |
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ブラブラしたけど、、、ごめんなさい。 あんまりオモシロくない。
飽きた。
売る気満々の商売っ気がミエミエ過ぎて疲れちゃう。
次、行ってみよう。 |
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久しぶりに筑波山に来てみた! |
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筑波山梅園
展望四阿(あずまや)はあっち |
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あずまや |
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辺り一面、梅の香りが漂う。 |
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あずまや |
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全部咲いたら綺麗だろうなぁ。 |
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紅梅 |
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アップ |
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ここの維持管理は大変そうだ。 |
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白梅 |
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足元には春を感じさせる花
「オオイヌノフグリ」が咲いている。
しかし、こんな名前付けた奴はいったい誰だ?
「大犬」の「フグリ(睾丸)」だなんて。
失礼な・・・。
検索したら、、、実が似てるって、、、確かに・・・。笑った。www |
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戻らずに、林道を走ってみた。 |
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綺麗に整備されたため池に出た。
つくし湖というらしい。 |
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霞ヶ浦用水農業水利事業で作った人造湖 |
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霞ヶ浦の水を筑波山のトンネルを経由し、県西一帯に供給しているようだ。
しかも、現在進行形らしい。
さすが農林水産省!スケールが違う!イヤミです。
これって運用費は誰が払っているんだろう? |
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駐車場にSUZUKI ST250が停まっていた。
走行距離800kmの新車だ。
持ち主はいずこに? |
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クルマもこんなに停まっている。
みんなどこで何をしているのか、、謎だ?! |
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さて、再度筑波山の南側を通り抜け、東側へ抜ける。
筑波山は二輪車走行禁止が多い。
正直、どこが通行禁止かわからないので、バイクでは近づかないようにしている。 |
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筑波山の東側を北上すると、左側の山の中腹に建物が見える。
あれが「関東の清水寺」とも呼ばれている西光院。 |
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行ってみる。 |
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(常陸風土記と万葉ライン)
峰寺山西光院
(県指定建造物)
峰寺として広く知られる西光院は、平安時代初期・大同二年(八〇七)有名な徳一大師の開山と伝えられ、初め法相宗であったが、鎌倉時代に一時真言宗となり、後天台宗に改宗した。
本堂は本県では類例のない懸造(かけづく)りで県の文化財(建造物)に指定されており、廻廊からの眺めはすばらしく関東の清水寺の名に恥じない。この寺の約六米もある立木観音菩薩像は、桧材寄木造りの巨像である。なお、境内西方にある球状花崗岩(俗称小判石)は県指定天然記念物である。
八郷町 |
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西光院本堂(建造物) 指定年月日 昭和四十五年九月二十八日
木造立木観音菩薩像(彫刻) 指定年月日 昭和三十六年七月二十一日
所在地 石岡市
峯寺山西光院は平安初期の大同年間、京都から来た徳一法師の開基と伝えられ、ともは法相宗であったが、中世真言宗となり現在は天台宗に属している。峯寺山の中腹にあり、晴天の日は霞ヶ関より遠く太平洋を望むこととができ、眺望絶佳の位置にある。
自然石の観音像を本尊とするこの寺の本堂は関東の清水寺と呼ばれ、岩棚状の細長い敷地の奥の崖に懸け出して建てられた懸造りの建物で、岩肌に脚柱を建て舞台型を作った上に、桁行三間梁間三間寄棟造り瓦棒鉄板葺(もとこけら葺か)の本体を組んでいる。
この本堂は崖の表面に作り出された巨大な石仏の上半身をおおうように作られた珍しいもので、現在の建物は江戸時代末期頃と推定されるが、石仏が火災にあっているところから、前身堂が焼失したのが判り、寺院の創立は相当古いとみられる。
またこの寺には、立木仏とよばれる十一面観音立像が祀られている。これは徳一法師の創建と伝えられ、像内にある元文二年(一七三七)の修理墨書銘札によると、本来ここにあったものではなく、もと山麓吉生(よしゅう)村の立木山広照院長谷寺に伝来したものらしい。像高五九七センチメートル。弁形(べんけい)刻出の天冠台上化仏から腰裳の下四分の一位まではハリギリ材の一木造、頂上仏をほぞ差し、両臂・両肘矧付(はぎつ)け、頭・体部とも内刳(うちぐ)りを施し、背板をあてている。
像は雨にかかったせいか、像表面が荒れ、当初のノミの痕を見ることは出来ないが、そのずんどうの体躯のとらえ方、後補とはいえ、台座をつくらず自然木の根を矧付けている点など、本来立木仏として造られたことを伝えている。製作年代は平安時代末、十二世紀頃のものであろう。
昭和五十七年三月 石岡市教育委員会 |
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十一面観音立像 |
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世間一般の十一面観音像と見比べるとチョット見劣りするような・・・。 |
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茨城百景峰寺山(みねでらさん) |
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「関東の清水寺」と言われる西光院 |
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たしかに清水の舞台のようだ。 |
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こちらは、お寺のご本尊です。馬頭観音様をおまつりし、当院住職や檀信徒様がお参りをしております信仰の地です。
観光地でもなければ、展望台でもありません。
喫煙・ご飲食・土足でのお参り、(ゴミの持込)犬のだっこ・ヤッホーの連呼、欄干に体重をかけて下をのぞきこむ事は、お止め下さい。
ここでの撮影は出来ません。
又、小さなお子様の手を離さぬ様、静かにお参り下さい。
峰寺山西光院 |
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ご本尊は見えないが、眺めは絶景 |
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さて、帰ろう。 |
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途中、善光寺楼門の看板発見
国指定重要文化財
善光寺楼門(ぜんこうじろうもん)
小田城主代2代。小田左衛門尉成治公の母堂は小田家の菩提寺である山之荘村小野の「新善光寺」を深く信仰され、出家の身となり、「雪主比丘尼」と号した。成治公は、母堂の願いから善光寺再興を図り、新治郡井白郷館荘太田月光山麓を安隠の地と選び,文亀元年(1501)「月光山無量寿院善光寺」を建立し,新善光寺を此処に移した。
元禄14年(1701)11月,善光寺は現在地の堂山に移されたが,当時を偲ぶ建造物は楼門のみとなってしまった。
楼門とは2階造りの門を意味するが,当楼門は2階部分を造りながらも,何らかの原因により完成を断念した「三間一戸楼門」の形態でる。戦国時代の世相の反映と思われるが,室町後期の建築細部様式を持ち,地方的特色を表わした建造物である。
2階は,緑と内部が一連となる厚板を切目状に並べ,この上に土居を置き円柱を立てている。側柱は上部粽付とし,台輪をまわし手先肘木の組物を乗せながら,その上部は未完成であるが,「楼門」の名称で重要文化財の指定を受けた。
平成5年度から7年度にかけて,楼門の解体修理が施工されたが,建築に関する記録は一切発見されなかった。
石岡市教育委員会 |
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善光寺楼門は、室町時代中期の建造と見られ、県内最古の木造建造物といわれているそうだ。
楼門とは二階建の門を言うが、これは平屋建て。
しかし、屋根裏の建築部材から、当初は二階建てとして計画されていたものと考えられ、「楼門
」としているとの事らしい。 |
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帰り道、クルマの走行距離が144,444kmになった。
まだまだ乗るつもりっていうか、次が買えないから乗り続ける。
目指せ20万キロ! |
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千円おせんべいの詰合せの中身 |
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千円和菓子詰合せの中身 |
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真壁で買った茹でまんじゅう
結城の名物らしい |
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同じく真壁で買ったパンダのひな人形 |
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今回の紀行は画質が良くなったでしょうか?
実は、奥様専用機パナソニックのルミックスTZ10を購入。
今回初仕事。
なかなかの使い心地、、、らしい。
画質もいいし、GPS機能が付いていて、どこで撮ったか一目瞭然!
なにより、マクロボタンを使わずに接写できるのが秀逸との事。 |