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おはようございます。
7:50 |
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輪島天然温泉 ホテル ルートイン輪島
朝市まで歩いて1分 |
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すぐそこ
8:30 |
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輪島朝市
朝市って言うくせに朝8時からと意外に遅い開店 |
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超高級魚「のどぐろ」ゲット! |
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おいしい?
安くして!
え?オマケしてくれるの?!
じゃあ、買っちゃう!
ありがとう!
このやり取りが朝市の醍醐味なのかも? |
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マジンガーZにデビルマン、キューティーハニー
永井豪記念館
入館料 大人500円 |
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中は撮影禁止なのでこれぐらいで・・・・・。 |
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朝市のテントの影になっている。 |
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こんな感じでおばあちゃんが店を出しに来る。
このおばあちゃんは、店を出している人に飲み物を売りに来てるみたい。
結構売れていた。
なるほど、いろんな商売があるもんだ。 |
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輪島朝市の由来
輪島朝市は延喜式鳳至比古神社(えんぎしき ふげ ひこじんじゃ)の祭日に物々交換が行われたことに端を発する。
以下略 |
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海の駅
朝市から帰ろうと歩いていたらオネーさんに声を掛けられた。
そこの海に駅で、お父さんが輪島塗りの職人をしています。
名前も彫れます。安いですから見て行ってください。
で、覗いてみた。
確かに朝市のお店より安いかも。
輪島塗の携帯ストラップをゲット |
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ここもホテルの目の前 |
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では、出発!
朝市で買った貝を食べながら走る。
ちょっとゆっくりしすぎたかも・・。
9:40
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なにこれ?
レーダー? |
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海がきれいだ |
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到着
10:00 |
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道の駅 千枚田 |
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数えたけど千枚も無い! |
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「はくまい」じゃなく「しろよね」地区らしい |
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国指定名勝 白米の千枚田
千枚田は、実際には1004枚ものミニ水田が連なっている。田の枚数が多いので千枚田と称するが、「狭い田」なので千枚田だという異説もある。
最も小さい水田は、0.2?、現在、13戸の農家が幾多の苦労を重ねながら耕作を続けている。畦付けのため、毎年、高い方の土手を削って田圃へ入れるので自然客土となり、肥料も一般の田の半分ぐらいでよいといい、病害虫も少なく二石六斗の反収があるという。米の味は特に優れており、消費者からは大いに歓迎されている。
千枚田は、地すべりの急傾斜地であるが、寛永15年(1638年)頃、能登小代官に赴任中の下村兵四朗(後の板屋兵四朗)が築造したという谷山用水もあり、水利に不安はない。
平地が少なく狭い国土、勤勉な国民性など、千枚田は我が民族の象徴ともいえる。縄文土器をもしのばせるその造型模様は美しく、平成13年1月、国の名勝に指定された。
白米村はかつて製塩も盛んであった。寛永12年(1635年)の記録によると出来塩1295俵とあり、延宝2年(1674年)の記録でも13軒のうち百姓数は六軒、他の七軒は塩士であったとある。また当時、塩を収納したという御塩蔵跡も残されている。
揚浜塩田は、その後の海岸浸触により水没、今は跡形もなくなっている。 |
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次、塩の駅に来た。
10:30 |
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輪島塩 |
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この編み笠のおじさんが丁寧に説明してくれた。
「この日の午後の雨の確率100%」
「もう、雨の準備をしています。」
なるほど、雨で塩が流されちゃうのか。 |
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砂の上に海水を撒き、この道具で表面積を増やして乾きやすくする。 |
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海水は無尽蔵にあるが大変な労働 |
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こんな道具で撒いている |
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通常、海水中の塩は3%程度。
1か所に集め、海水に戻し、15%程度にする。 |
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窯で煮る |
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結晶を取り出した後。
これがニガリ。 |
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こうやって水を切って出来上がり。 |
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ミネラル豊富な甘い塩が出来る。 |
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走り始めてすぐになにやら碑を発見!
停まってみる。
10:50 |
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なふねこう |
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御陣乗太鼓の地と書いてある。 |
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御陣乗太鼓の由来
天正4年、越後の上杉謙信は七尾城を攻略し、その余勢をかって奥能登半島を平定へと駒を進めた。
当時名舟村は舵倉島、七つ島を有し海産物の宝庫であったが、迫り来る百戦錬磨の上杉勢を前にし農民漁民の集まりでは勝敗は明らか。
しかし郷土愛の一念から古老の指示に従い、木の皮で面を作り海草を髪とし夜陰に乗じ太鼓を打ち鳴らし夜襲をかけた。
これを見た上杉勢は奇怪な様に物の快か神の化身かと驚き惑い余儀なく撤退したと伝える。
これは氏神(奥津比刀jの加護によるものとし、以来、名舟大祭には神輿の先供として現在に至る。
この碑石は当時の山城、名舟城(赤城あかぬき)の門石である。
平成十七年四月吉日(御陣乗太鼓保存会) |
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道の駅(なかじまロマン峠)
11:50 |
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現在地
能登半島の山越えをしたところ |
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右折で氷見方向へ
能登食祭市場の看板が気になる |
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到着!
七尾城史資料館
入館料200円
12:35 |
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懐古館(飯田家住宅)
七尾城史資料館に隣接した民家で、江戸時代庄屋を務めていた。
1751〜1829年頃に建てられた建物で木造平屋建て、入母屋、茅葺、平入り、正面に下屋を出し瓦葺きとして格式を出している。
桁行9間、梁間6間、床の間や仏壇を備える格式の高い仕様で当時の能登地方の庄屋農家建築として貴重な存在で平成18年に国登録有形文化財に指定。 |
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山道を登り、七尾城跡を目指す。 |
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到着
七尾城は室町幕府三管領のひとつ、畠山氏から分かれた能登畠山氏の居城である。
石動山山系の北端に位置し、標高約300メートルの尾根に長屋敷、本丸・西の丸・二の丸・三の丸など曲輪を配置、この尾根から枝分かれする幾筋もの尾根にも大小無数の砦を配置している。
それ故に、七尾という地名は七つの尾根に由来すると言う。
築城年代は明かではないが、戦国期に入ってから逐次拡張・増強されたとみられる。永正・天文の時代は最も政治的に安定し、文化が栄えた。1526年、当代一流の歌人冷泉為広・為和親子が七尾城に来訪し、1544年の記録では、城山山麓に城下町「千門万戸」が一里あまりも連なったと見える。
1577年、越後の上杉謙信の攻略にあって落城、能登畠山氏は滅亡した。本丸から三の丸にかけての一帯は、地形を巧みに利用した規模雄大な縄張りと、石垣・土塁・空堀・それらを備えた曲輪の保存状態が良いというので、昭和9年に国指定の史跡となった。
13:06 |
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これより本丸に至る。
徒歩5分
雨がポツポツ降ってきた。
傘を持って歩く。
隣のタクシーの運転手さんもお客さんの分の傘を持ち歩き始めた。 |
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道は整備されている。 |
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あと3分 |
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それらしくなってきた。 |
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到着 |
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七尾城址
七尾城は、室町時代の正長年間(1428 - 1429年)頃に、七尾畠山氏の初代当主で能登国守護の畠山満慶が築城。
以降、畠山氏により増築され、強固な山城となり、1577年(天正5年)に能登国に侵攻した上杉謙信に包囲されたものの一年にわたって持ちこたえた。
しかし、畠山氏の重臣同士内紛などがあり七尾城は開城。上杉謙信の手に落ち、能登畠山氏は滅亡。
その後、織田信長の侵攻により七尾城は奪われ、信長の配下だった前田利家が入城。
前田利家が現在の七尾駅近くに小丸山城を築いて移ると、子の前田利政が城主となり、後に1589年(天正17年)廃城となった。 |
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本丸跡
七尾城の中心となる曲輪。東西の長さが50m、南北の長さが40mあり、二の丸までの一連の曲輪とともに主郭を構成する。
石垣は、戦国期の山城に多い「野面積(のづらつみ)の工法を用い北側は三段に積まれている |
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いい眺め |
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城山神社 |
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七尾市街が一望できる。
向うに見えるのは七尾湾と能登島 |
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違うルートで帰る。 |
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雨に降られず戻れた。
よく見ると、登城者用の杖が用意されていた。 |
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次、「氷見フィッシャーマンズワーフ海鮮館」に来た。
14:30 |
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中は観光客用市場って感じでイマイチ。
しかも、ここは2012年9月23日をもちまして閉館するとの事。 |
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お腹が空いたが、「どんどん焼」でごまかす。
で、どんどん焼ってなんだ?っと調べたら、東北地方のお好み焼きっぽい食べ物。
なぜか飛び地で富山でもポピュラーな屋台らしい。 |
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「ハットリくんとその仲間たちに会える街」氷見????
なんだそれ???
調べると、どうも「藤子不二雄A」氏の生まれ故郷で、街を歩くとハットリくんとその仲間たちに会えるらしい。
そうか、次回のお楽しみとしておこう・・・。
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コンビニに子供達が集まっている。 |
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なんだろう?
獅子舞?
他でも見かけた。
9月8日はお祭りなのか? |
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おお!路面電車だ。
末広町(高岡駅前行き)
15:00 |
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来た来た! |
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(=^・^=) |
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ナビの設定先はココ、高岡市立博物館 |
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高山右近
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。代表的なキリシタン大名。
高岡城の縄張を担当したらしい。 |
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高岡城は、富山県高岡市古城(旧・越中国射水郡関野)にあった平城で、城跡は高岡古城公園となっている。
百名城のスタンプは、ここ高岡市立博物館にある。
15:30 |
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博物館での撮影。
この長い兜は『銀鯰尾兜』(ぎんなまずのおかぶと)
前田利長(まえだとしなが)が着用していたもの
ナマズは、大地を揺らし、すべてを破壊する力があるので、その力にあやかりたいって事らしい。
ここの係員はスゴイ!
机に突っ伏して寝ている。
ここまで堂々としていると逆にすがすがしい!(笑) |
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さあ、今日の宿泊地、金沢に向かおうと走っていたら、一瞬、パンチパーマの男の姿が視野に入った。
ん?!
あいつは、、もしかして?! |
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Uターンして男の姿を探してみると、、、いた!!
やっぱりそうだ!!
15:50 |
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日本三大佛 高岡大佛 |
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そうか〜!ココだったのか〜!
カブ1,000キロで寄り道候補に挙げてた所。
これまた、思いも寄らず見学出来て超ラッキー |
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駐車場は無料だし、大仏様はでっかいしなかなかのもの。 |
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でも、観光客は中国の方ばっかり。
デッカイ声と態度にちょっとゲンナリ・・・。
ガイドがついているから、ここが観光ルートに入っているのか? |
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高岡市指定文化財定
銅造阿弥陀如来坐像(高岡大仏) 昭和五十六年四月十五日指定
高岡大仏は、坂下町極楽寺第十五世等誉上人が大仏建立を誓い、延享二年(一七四五)、木造金色の仏像を建立したのが始まりである。しかし、その像は文政四年(一八二一)に焼失。その後、天保十二年(一八四一)に再興されたが、これもまた明治三十三年(ー九〇〇)の大火で焼失した。
現在の大仏は、篤信家の松木宗左衛門が大仏の再建を発願し、明治四十年(一九〇七)に造営事業が着手された。その後、中川原町の萩布宗四郎らの協力により、二十有余年の歳月を経て昭和八年(一九三三)に全工程を完了、五月に開眼式が行われた。
昭和五十五年(一九八〇)に十一メートル後ろへ下がった現在の場所へ移転・補修された。
原型は中野双山。古式鋳造法である焼型重ね吹きの技法で、鋳造から着色に至るすべての工程を高岡の工人・職人達の手で行った記念すべき大作である。
昭和三十三年(一九五八)に建載された円輪光背には、阿弥陀仏の仏徳を一字で表現する●(キリーク)という梵字が頂点に配されており、大円輪の光背がそぴえる大仏尊は世に珍しく、奈良・鎌倉の大仏とともに日本三大仏と称されている。
平成十年八月 高岡市教育委員会 |
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さあ、金沢に行くぞ!
16:20 |
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金沢東で降りる。
16:40 |
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ひがし茶屋街を散策。
17:10 |
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現在地
あ〜、お腹が空いた・・・。
よし、ここで何か食べよう!
好きなもの食っていいぞ!っと奥様に言った。 |
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ひがし茶屋街
卯辰山山麓を流れる浅野川の川岸には、今でもキムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある古い街並みが残り、昔の面影をとどめています。灯ともし頃にもなれば、今でも軒灯がともる茶屋から三味線や太鼓の音がこぼれてきます。五木寛之著「朱鷺の墓」の舞台としても知られています。また、平成13年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、「街並みの文化財」として保存策が進められています。 |
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街並みは綺麗だけど・・・・、 |
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弁当で3,675円?!
6時からは最低で6,300円
前言撤回!
ホテルで食べよう!(^_^;) |
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金沢の伝統工芸、金箔貼りの体験 |
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う〜ん、あとはブラブラ歩くだけ。 |
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チョット期待外れ・・。 |
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さて、予約してあるホテルに向かう。
これは金沢駅
予約ホテルは駅のすぐわき、「金沢マンテンホテル駅前」
18:00にチェックイン |
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ホテル内のレストラン「万咲」で夕食
三元豚の西京味噌焼き |
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富山湾 白海老のさくさく揚げ |
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角切りステーキ |