兼六園・金沢城
2012.9.9(日)
金沢マンテンホテル駅前からの風景 | |
廊下 | |
朝食付きプラン 上が洋食 下が和食 |
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ホテル外観 9:00出発 |
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石川四高記念文化交流館 | |
石垣が見えてきたが、、、、城下町ハーフマラソン? | |
マラソンで交通が遮断されてる。 | |
ダメだこりゃ・・・。 兼六園と金沢城の間辺りにクルマを停めようと思ったが近づけない。 |
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金沢城から一番遠いところにクルマを停めた。 | |
小立野口から兼六園に入園 | |
なぜか兼六園に大和武尊(やまとたける)の銅像 日本武尊像は日本で最初の屋外人物の銅像といわれている。銅像の着物が左前になっているのは古代の女性の服装で、日本武尊が女の姿をして熊襲を倒したという伝説による。身長は5m50cm、台石の高さは6m50cmと巨大だが、台石はセメントなどを使わずに石を積み上げただけのもの。昭和63年(1988)、造りはそのままにして全面改修が行われた。その際、銅像に鳥のフンが全く付いていなかったことから、金沢大学の広瀬幸雄教授が銅像の成分を分析し、鳥除けの合金を開発。平成15年(2003)にユーモアと独自性のある研究に贈られるイグ・ノーベル賞を受賞した。 |
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[根上松](ねあがりまつ) 大小40数本もの根が地上2mにまでせり上がった奇観はたいへんな迫力で、兼六園名物の一つとなっています。 この松は、13代藩主・斉泰(なりやす)が土を盛り上げて若松を植え、根を深く土で覆い、成長後に土をのぞいて根をあらわにしたものだと伝えられています。 |
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さぞかし名のある松に違いない。 | |
[徽軫灯籠](ことじとうろう) 霞ヶ池の北岸に配された兼六園を代表する景観です。 徽軫灯籠は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ているのでその名が付いたと言われています。 この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠が変化したもので、高さは2.67m。かたわらのモミジの古木、曲水に架かる虹橋と一体となって優れた風景を醸し出しています。 |
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暑い。 | |
こんなに暑いのに走るなんて・・・・。 | |
蓮池門通り | |
金沢城公園 | |
石川門 | |
パチ | |
石川門石垣 この石垣は、右と左で積み方が違います。 右側は「切り込みハギ」、左側は「打ち込みハギ」の技法となっています。 同じ場所で違う積み方をした珍しい例で、明和2年(1765)の改修時のものと考えられています。 文化年間に書かれた文書には「左右違い分けて積むのはおかしい」などと記されており、石垣の積み方にもいろいろなこだわりや思いがあったことがうかがえます。 |
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ひと目でわかる! | |
現在地 | |
中は意外に広い | |
増築中 | |
鶴丸倉庫 | |
橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら) | |
二の丸案内所 | |
菱櫓(ひしやぐら) 建物の平面が菱形(内角が80度と100度)になっており、死角を少なくし視野を大きくする効果があります。 建物に使用されている100本の柱にも菱形が用いられており、建設には非常に高度な技術を要したと考えられます。 あれ? 広島城の太鼓櫓(たいこやぐら)が意味は判らないが菱型になってるって話しを聞いたが、これと一緒じゃない? 遠近法を使い大きく見せる作戦なんだ!? |
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菱櫓・五十間長屋内部と模型 | |
五十間長屋 | |
柱の太さ 本来は6寸角だが、 |
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建築基準法をクリアするため8寸角にしたとの事。 | |
ちなみにうちの柱は13センチ | |
とりあえず記念撮影 | |
紺屋坂を下り、石川県観光物産館でお買いもの | |
兼六園に再入場し、金城霊沢(きんじょうれいたく)に立ち寄る。 金城霊沢 昔、芋掘藤五郎がこの泉で、砂金を洗い「金洗沢」と呼ばれていた。これが、金沢の地名の起こりである。 |
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透き通った水 | |
駐車場に戻ってきた。 12:40 |
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越中境PA 14:40 |
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富山ブラックを食べる。 これはウマイ! |
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佐渡島が見える時があります。 | |
あ!見える! | |
アップ | |
佐久小諸ジャンクション 17:10 |
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事故渋滞7キロ | |
あ〜あ・・・。 | |
やっちゃった・・・。 あれほど注意しろって言ってるのに・・・。 |
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7キロ先事故・・・。 またかよ。。。 |
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7キロに45分もかかるのか・・・。 | |
千枚田で買った剣先食べちゃう。 | |
やっと通過。 18:45 |
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ハイウェイ・オアシスららん藤岡に立ち寄り、地獄ラーメン大勝園に入ってみた。 つけ麺 |
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みそチャーシュー | |
まぁ、可もなく不可も無くって感じ? 19:10 |
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