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昨日、奥様のファインプレーで宿泊できたアルファーワン鳥取
鳥取県JA会館の前にある
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鳥取城・仁風閣・鳥取砂丘は今から行くところ! |
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駐車場から見えた建物
ホテルナショナル
壁が倉庫のようだが・・・・。
ナショナル。ナショナルか。ナショナルねぇ〜・・・。
・・・・・・・。
♪明る〜いナショナ〜ル♪明る〜いナショナ〜ル♪みんな〜うちじゅう〜♪な〜んでもナショ〜ナ〜ル〜♪
♪チュ〜ン〜♪ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ジャ〜ン♪パッパララ、パッパララ、パッパララ、パラララララ♪
♪じ〜んせい♪楽ありゃ苦〜もあるさ〜♪涙の後には〜に〜じも出〜る〜♪
ナショナルと聞くと、水戸黄門の主題歌が脳内再生されるのが正しい茨城県人! |
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8:50
ほんの10分で着いた鳥取城跡 |
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あれが仁風閣か。 |
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道を登ると高校だった。 |
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チョイとクルマを置かせてもらう。 |
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史跡三の丸跡 |
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見事な石垣! |
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なにアップで撮っていやがる。┐(´〜`;)┌
しかし、、そうか、、チョットやばくなって来てるのか・・・。_| ̄|○ガックシ・・
(本当は、つむじが二つあるんで薄く見えるだけなんだけど、いちいち言い訳も出来ないし・・・。)
まぁ、いいや。
カッパになったら妖術が使えるようになるんだろう!
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お左近(おさご)の手水鉢(ちょうずばち)
近世城郭としての鳥取城の基礎は、池田長吉の時代に築かれました。この時の工事にあたって、池田長幸(長吉の子)婦人の侍女『お左近』の活躍はめざましいものだったようで、このお左近の手水鉢を石垣に築きこんだところ難工事であった三階櫓も、無事完成したという伝説が残されています。
昭和38年、この『手水鉢』と思われる石材が発見され、三階櫓石垣の修理に際して、もとの位置に復元されました。
平成18年3月文化庁・鳥取市教育委員会 |
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なかなかの眺め |
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【国史跡】“二ノ丸跡”
二ノ丸には、江戸時代前期には、藩主が住み、家老などが政治を司る、藩主の御殿(ごてん)がありました。
鳥取池田3代・吉泰の時代に、御殿が三ノ丸に移され、享保5(1720)の石黒大火で全体が焼失。
三階櫓は8年後には復旧されましたが、御殿は幕末の弘化3(1846)年になるまで再建されませんでした。
二ノ丸は、鳥取城を象徴する場所として市民に親しまれており、昭和32(1957)年に国に史跡に指定された後、最初に石垣の修復工事が行なわれました。 |
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二の丸三階櫓石垣 天端角石
昭和40年の三階櫓石垣修復工事に際して発見された、北東面の天端角石(上面の角の石)です。
銘文には普請奉行・下奉行と職人の棟梁の名前が刻まれています。
享保5年(1720)の石黒火事で焼失した三階櫓が同13年に再建されたとき、建物だけでなく石垣も修復を受けていたことが分かります。 |
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昭和18(1943)年9月10日、鳥取地方を震度6の大地震(死者1210人)が襲い、鳥取城の石垣も各所で崩れました。
昭和34(1959)年、崩れた石垣のうち、最初に修復が始まったのが、ニノ丸三階櫓。
崩れた部分を復元するため、その周辺も一度解体して再び積み上げるという大規模な工事でしたが、江戸時代と同様の技術で全工程が人力で行なわれ、工期は7年に及びました。 |
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パチリ |
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クルマを移動し、仁風閣の方に回る。
鳥取32万石お城まつり |
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重要文化財
仁風閣
鳥取市東町2丁目121番地
昭和48年6月2日指定
この建物は、明治40年5月、時の皇太子殿下(のちの大正天皇)の山陰行啓に際し、ご宿舎として、もと鳥取藩主池田仲博公爵によって、扇御殿跡に建てられた。
設計は明治建築最高の傑作である赤坂離宮の設計者として有名な宮廷建築家片山東熊博士によるものと伝えられ、工部大学校での片山東熊の後輩にあたる鳥取市出身の建築家橋本平蔵が補佐し、地元の工匠浜田芳藏が施工にあたったものであり、フレンチルネッサンス様式を基調とする木造二階建の本格的洋風建築で、中国地方屈指の明治建築として著名である。
櫛形ペディメントを主要なモチーフにした端正な正面のたたずまいに、屋上の棟飾りや階段室の八角尖塔屋根が変化を与え、背面一・二階吹抜けのベランダは、軽快で美しい構成を示している。
内部は御座所・謁見所・御食堂の主要室をはじめとして、一・二階の各室とも室内装飾に意が払われ、マントルピース(暖炉飾り)・カーテンボックス・シャンデリアなどの細部意匠にも見るべきものが多い。
殿下ご到着の当日に、鳥取県下ではじめて電灯が灯されるなど明治の文明開化を華々しくうたいあげた記念建築でもある。
「仁風閣」の名は、行啓に随行した東郷平八郎元帥によって命名されたもので、その直筆の額は、二階ホールに現在も掲げられている。 |
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明治の建築物って凝っていていいな〜。 |
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和洋折衷ってとこか・・。 |
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立派な庭園 |
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螺旋階段 |
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この階段は支柱がありません。
ささらげた(階板を支えるわき板)が支柱の代わりをしている。
ささらげたは削ったケヤキの厚板を6枚つないで出来ている。
全国的にも稀なものである。 |
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仁風閣
この「仁風閣」額は、明治40年(1907)5月、皇太子殿下山陰行啓のお供をされ、この建物を「仁風閣」と命名した東郷平八郎元帥によって書かれたものです。 |
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御座所 |
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螺旋階段を上から |
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以上、仁風閣でした。 |
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10:00
次に来たのが、鳥取砂丘 |
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国立公園
鳥取砂丘 |
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この階段を登ると、、、 |
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キタ━━━(゚∀゚).━━━!!! って感じ |
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奥様の今回の旅の一番の目的はコレ!
ラクダに乗ること! |
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目的達成!
二人で2,200円
通常料金3,000円
混んでいたので時間短縮し、その分安くなっていた模様。
しかも、運よく乗りたかったふたこぶラクダの「チェリーちゃん」に乗れたんで満足満足! |
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海辺まで行ってみる! |
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砂を歩くのは結構キツイ! |
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海まで来た!
でも、どうしてこの砂浜は山のように高くなっているんだろう?
不思議だ。 |
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人がアリンコのよう・・・。 |
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地元の中学生?がダッシュをしている。
元気だ。 |
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戻ってきたけど、、疲れた。 |
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はい、1+1は? |
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とっとりなしおどっとのむ
梨ジュース
高かったけど、、、ちょっと微妙・・。 |
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梨ソフト |
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さて、次は一気に京都に向かうぞ!! |
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13:00
一気に向かうと、思ったが、、、
道の駅に寄ってみるか。 |
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空の駅って書いてある。
よべえき? |
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高い鉄橋
鉄骨が古い鉄橋。コンクリートが新しい鉄橋。
あれ?ここ、なんか見覚えがある気がする。
デジャブ? |
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急な山道を登って余部鉄橋空の駅に来た! |
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なるほど!
あまるべって読むのか!? |
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余部橋梁を列車で渡ってみませんか?
180円で往復出来ます! |
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余部鉄橋 |
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この橋の高さは40m
ウルトラマンと同じぐらい。
ウルトラマンってでっかいんだなぁ。 |
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こっち側は撮影ポイントらしい。 |
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13時30分の列車が入ってきた! |
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鉄橋を渡って、、、 |
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行っちゃった・・・。 |
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蜂に注意?? |
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って、、でっかいスズメバチの巣! |
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余部鉄橋が完成しても余部地区の住民には恩恵がなかった。三方を山で囲まれた”陸の孤島”余部。
外部との行き来は、相変わらず車も通らない山越え道。余部には駅が無かったのである。
人々は汽車に乗るために、高く長い鉄橋を歩いて渡り、四つのトンネルを抜けて鎧駅にたどり着くという状況にあった。
不便な生活を解消するため、余部地区の住民は昭和30年頃から国鉄総裁などに駅の設置を強く陳情。
余部小の児童も当時の阪本勝知事に手紙を書いた。
その結果、33年9月に知事が現場を視察、ついに餘部駅の設置が承認された。
駅の建設工事が始まると、余部の子供たちも海岸から岩石を運び上げ、ホームなどを作る手伝いに精を出した。
余部鉄橋完成から実に47年目の昭和37年4月、立派な餘部駅が誕生した。
↑子供の頃、何かの本で読んだことがある話だ。 |
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思い出した!!
ここは、1986年(昭和61年)12月28日、強風にあおられ、列車が転落した場所だ!
間違いない!
あの頃は、遠い別の国の事のように思っていたけど、、ここだったのか・・・。 |
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15:00
再び走り始め、豊岡市に到着。お腹が空いた。何か食べよう。
豊岡市は、兵庫県北部。日本で最後の野生コウノトリの生息地として知られる。
ご当地モノは、出石そば(いずしそば)、松葉ガニ(ズワイガニ)、但馬牛ってところか?
そばはどこで食べてもソバだし、カニじゃご飯にならない、って事で但馬牛を食べる事にした。
豊岡市のステーキ屋さんに入り、但馬牛?のステーキを注文し出てきたのがコレ。
・・・。
調べると、神戸牛と但馬牛、どちらのブランド名を付けてもいいらしい。
って事は、神戸牛より落ちる肉が但馬牛って事なんだろう。
いやそもそも、これは和牛じゃないと思う。
ま、安いなぁ〜とは思ったんだけどね・・。(^^;) |
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同じく但馬牛のハンバーグ
こっちは、たしかに和牛の肉かもしれない。
でも、、ハンバーグだからなぁ・・・。 |
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17:00
天橋立に到着!
籠神社(このじんじゃ)
伊勢神宮の神々がこの地から移られたという伊勢神宮のふるさと
日本三景の一つとして名高い天橋立は、もともと籠神社の参道として発祥したもので、古来より天と地、神と人とを結ぶ架け橋として信じられていた。
ここの駐車場(500円)に車を入れた。
ラッキー!
時間が遅いので駐車料金は無料! |
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お賽銭を入れ、急いでケーブルカーに向かう。 |
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17時のケーブルカーは出たばかり。
次は、15分。
そして、最終は30分。
観光時間は15分だ! |
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来た来た! |
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日本三景の一つ、天橋立
ここ、傘松公園からの天橋立を見ると、斜め一文字に見える景観から『斜め一文字」と呼ばれたり、
右上がりに勢いよく天に昇る龍を想像させる絶景から、『昇龍観』と呼ばれたりもするとの事。、 |
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股のぞきで鑑賞する『天橋立』 |
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こんな感じで、本当に空に橋が架かっているように見える!!
写真より肉眼の方が感動する!! |
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股のぞき発祥の地
しかし、時間が無いので行けない。 |
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こんなのでお茶を濁すか。 |
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無事、最終ケーブルカーで降りてこられた。
お土産屋さんも店じまい。
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さて、、後は帰るだけ!
今日中に、出来るだけ家に近づいておこう!っと走るが、連休につき大渋滞!
ずぅ〜っと渋滞 |
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20:15
神戸JCTまで4km |
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8:35
神戸JCTまで500m
3キロ進むのに20分もかかっている。 |
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9時になったら助手席では半沢直樹を鑑賞している。 |
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山に入ると電波が途切れる!
じれったくて、草津PAに車を停めて最後までじっくり見た。
う〜ん、スッキリしない終わり方!
ネット上でも、半沢直樹の話題で持ち切りで、某サウナの休憩室ではごらんのとおりほぼ全員が半沢直樹を見ていたようだ。 |