そうだ!京都行こう!二条城伏見稲荷清水寺
2014.9.12(金)

なんか急に行きたくなったから出発!
海老名SAまでノンストップ

4:00
お月さま
ネオパーサ浜松
5:50
なにやら新型兵器が・・・。
スマホをタッチすると交通情報サイトを表示してくれる
ドライバーズスポット

天神屋発見!!
しぞ〜かおでん!
静岡といえば黒はんぺん

昔、静岡に住んでたことがあり懐かしくてついついゲット!
三ケ日みかんバームクーヘン

かすてらぱん
では、出発!!

6:50
豊田JCT

7:30
ネオパーサ御在所

8:55
亀山JCT

9:25
なんか煙が・・・。
ヤバイ!燃えてる!
あらら、全焼
京都東で高速を降りる

10:00
ナビに誘導され到着!!

10:40
元離宮二条城

慶長六年(1601)、徳川家康の命により、奉行板倉勝重が差配、市中の多数の労役者の力により着工され、翌年三月に完成した。
京都の守護と上洛の際の宿舎がその目的で、二条新御所などと呼ばれ、はじめは小規模のものであった。家康の征夷大将軍の拝賀および二代秀忠の将軍宣下は、この二条城で行われた。

その後も、造営は続けられ、伏見城の遺構をここに移し、寛永三年(1626)、三代将軍家光が、ここに後水尾天皇を迎えた頃、その規模はもっとも拡大され、五層の天守閣もそなえていた。しかし、寛延三年(1750)、雷火のため天守閣を焼失、また、天明八年(1788)には、市中の大火にあい、本丸殿舎、櫓の多くを焼失した

文久三年(1863)、十四代将軍家茂が入城、攘夷の実行を誓い、また、慶応三年(1867)には、十五代将軍慶喜が、この城中で大政奉還を決意し、上表を使者に出している。

明治四年、二の丸内に京都府庁が設置され、明治十七年宮内省に属し、二条離宮と改称、明治二十六、七年には、本丸御殿跡に京都御所にあった桂宮御殿が移築され、本丸御殿と呼称されている。昭和十四年(1939)、京都市の所有に移り、史跡に指定された。
城構は、平城で、本丸、二の丸の二部よりなり、周囲には幅13mないし17mの堀をめぐらし、東西約480m、南北360mあり、国宝二の丸御殿をはじめ、台所・御清所・東南・東西両隅櫓、東・北大手門・土蔵・本丸御殿などの重要文化財がある。
世界遺産「古都京都の文化財」二条城
二の丸御殿唐門
切妻造り、桧皮葺の四脚門でその前後は唐破風造りとなっており、彫刻がふんだんに使われている。
パチリ
入り口

内部は撮影禁止

関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が築城し、

最後の将軍、徳川慶喜が勝海舟と差し向かいで会談し、大政奉還を行ったところ
うぐいす張り廊下(鳴き廊下)の説明を受けている子供たち
廊下板が完全に固定されていないので歩くと音がする
特別名勝
二条城二の丸庭園

池を中心とした書院造庭園であり、庭には三つの島を置き、四つの橋を架け、西北隅に滝を落とし、池の汀に多くの岩石を配した景観は、変化に富んで秀麗であり、豪壮な趣(おもむき)がある。
庭園は大広間の西、黒書院の南に位置し、主として大広間からの観賞を想定して造られているが、寛永三年の後水尾天皇行幸の際、行幸御殿が庭園の南側に建造されたことから、南方からの観賞も配慮して、庭園南部の石組に変更を加えた形跡が見られる。
作庭年代については、記録や作風から推察して一六〇三年(慶長八年)の二条城築城の際にその建築に調和させて造営されたもので、後水之尾天皇の行幸の際に、数多くの名園を手がけた小堀遠州によって一部改修が加えられ、今日に至ったものと考えられる。
桃山末期から江戸初期に大成された書院造りの大建築に伴う庭園の特徴をよく示しており、現存する歴史的庭園の中でも最も優れた作品の一つに数えられている。
天守閣跡

二条城の天守閣は、寛永三年(一六二六年)に伏見城から移築されたもので、五層の天守が建てられていましたが、寛延三年(一七五〇年)に落雷により焼失し、再建されること無く現在に至っています。
現存する天守台は、高さ二一米、天守台上の敷地四四五平方米あります。
天守閣跡から見た二条城
世界遺産二条城 本丸御殿

世界遺産の城は、ここと姫路城の二つ
お堀は城の雰囲気を醸し出している
城内北側にある清流園
北大手門
募金受付中

心ばかりの寄付をして、缶バッチをゲット!

手前の事務所で100名城スタンプもゲット!
入り口に戻る

12:20
クルマに戻る

次行ってみよう!
京都駅
伏見稲荷大社は左
ここだ!

この右側!

ナビが教えてくれなかったら通り過ぎていたかも。

12:50
口コミで選ぶ!“行ってよかった”外国人に人気の日本の観光スポット2014

国内 第1位 獲得

伏見稲荷大社

Fushimi Inari-Taisha Shrine is proud to have been awardded 1st prize from Trip Advisor in the category "2014 Japanese Site Popular With Foreign Tourists."
で〜ん!!
全国に3〜4万社あるといわれている稲荷神社の総本宮、伏見稲荷大社
楼門

この建物は天正17年(1589年)豊臣秀吉の造営とされてきた。

秀吉の母大政所殿の病悩平癒祈願が成就すれば一万石奉加する、と記したいわゆる“命乞いの願文”が伝来していた。

昭和48年に楼門の解体修理が行われたところ、願文の年次と同じ「天正17年」の墨書が発見され、伝承の正しかったことが確認された。

神社の楼門の規模としては最も大きいものに属する。
外拝殿
本殿
願掛け鳥居
千本鳥居入り口
ここが有名な千本鳥居
こんな感じ

外人さんじゃなくても幻想的でいい感じ!
 
稲荷山

全行程4km、所要時間約2時間
鳥居の間をバイクが走っている・・・。
この辺で勘弁しといてやろう・・・。
テレビ朝日の鳥居を発見
稲荷大明神ののぼり 1,850円
露天があるとお祭り気分が味わえる
このおじさんから天然石装飾品を購入!

この石は、大地からのパワーを吸い込んでとかなんとか言っている。

ほ〜、俺のパワーは吸い取られないの?
関西だから値切りOKだよね?と聞くと、「あれは大阪だけ・・・。」とか

まぁ、いろいろ会話を楽しんだのでお礼に購入

結局、チョットまけてくれた。

全然売れてなさそうだったので、みなさん、見かけたら買ってあげてください。(笑)
「祢ざめ家」(ねざめや)でうな丼

豊臣秀吉が屋号を名付けたという創業450年(1592)の由緒ある老舗茶屋。

妻の“ねね(袮々)”の名前から一文字屋号にもらったと言われている。
稲荷とくればいなり寿司も外せない。
稲荷大社前のコンビニで、関東の「むかん」よりはるかに大きい「むかん」(冷凍みかん)を発見!

15:00
比叡山に行こうと思ったが、、4時までらしい。

現在4:30

行き先変更
ナビに誘導され走る。
地味なローソン

景観条例で定められているんだろう。
到着したけど、駐車場を求めてここを2周した。(^_^;)
松原通り

17:20
子安塔
入口にある鉄錫杖(しゃくじょう)

重さ14キロ、これは持ち上がる。
12kgの高下駄も余裕
重さ90キログラム以上の大錫杖(しゃくじょう)

これは無理!

明治中期に奈良県・吉野で修行した修験者から奉納されたもので、「弁慶の錫杖と高下駄」とも呼ばれるらしい。
国宝 本堂舞台 江戸初期

「清水の舞台」といわれ、本堂(国宝)の付属建築物で、平安時代の昔から構架されてきた。
現在の舞台組みは寛永十年(1633)徳川三代将軍家光の寄進による再建のままで、欄 干親柱の金銅製宝珠に「寛永拾歳」と銘刻されている。
本堂外陣(げじん)(礼堂(らいどう))の廊下から南の谷へ間口約18メートル、奥行 約10メートル、に長さ5.5メートル、幅30〜60センチ、厚さ10センチ、の檜( ひのき)板を敷きつめ檜舞台として張り出し(舞台板は20〜30年毎に張替る)、床下 は巨大な欅(けやき)の柱に貫(ぬき)を縦横に通し楔(くさび)でとめて頑強に支え、 いわゆる舞台造り≠ノなっている。建築学的には懸(かけ)造り≠ニいい、礼堂の下 から長短の欅柱で構築されており、観音様の居所とされる南インドの嶮峻な補陀洛(ふだ らく)(ポトラガ)山中の宝殿に実に似あわしい。最南端は錦雲渓の急崖に12メートル 強の高さで建ち、「清水の舞台から飛び下りるつもりで…」の諺(ことわざ)を生んでき た。
本来は本堂に奉祀する御本尊千手観音様に向って舞楽を奉納する、名実共に「舞台」で  現に重要な法要には舞楽、芸能などを奉納している。東、西両側の翼廊は、その楽人た ちの詰める楽舎である。
この舞台からの、錦雲渓をへだてた向山の子安の塔と阿弥陀ヶ峰の眺めや京都市街西山 の遠望は、まことに見事である。
左下方には「清水寺」の寺名を由来する音羽の滝がこんこんと三筋の清水を流し、その 上手には同じく舞台造りで奥の院(重要文化財)が建つ。
音羽の滝
清水の舞台
   清水寺はカラスがいっぱい
 
アップ
下から

昔、修学旅行で来た時の「清水の舞台」の下は土だった気がする。

今は、石垣が積まれていて飛び降りたら死ぬ・・。
清水坂
時間も遅いのでお土産屋さんも店じまい


18:05
駐車場から見た京都タワー

さて、ネットでホテルを予約。
チェックインしておやすみなさい。

【今日のまとめ】
・二条城
・伏見稲荷大社の千本鳥居
・「祢ざめ家」(ねざめや)でうな丼といなり寿司
・清水寺
・大阪に宿確保

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