ホテルα-1豊田 連休中でどこも取れなかった中、ココだけ予約できたのは、、、 ココは観光地ではなく、普段はトヨタ工場関係者の利用するホテル。 連休中は工場が休みで利用者が少ないためではないかと推測!? とにかく、我が職場の夏休み宿泊補助券の使える宿に泊まれてラッキー! 今日は、朝食無しの素泊まりで出発する! 8:30 |
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行き先は名古屋だぎゃ〜 | |||
一般道で到着! 朝食抜きの理由はココ! 超大盛りで有名なお店「喫茶マウンテン」 9:10 |
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そう、登山家の俺としては登らなくちゃいけないところだ!! | |||
メニュー いきなり甘口の文字が飛び込んでくる |
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飲み物は普通そうだ・・・。 | |||
なにを注文しよう? 悩む・・・・。(^_^;) |
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俺は、「大人のお子様ランチ」 奥様は、「ひろしのわがままホットケーキ」 |
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飲み物を注文したらパンとゆで卵が付いてきた。 そかそか、ココは名古屋だ。 「モーニングサービス!」なんて書いてなくても自動的に付いてくるようだ。 |
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キタコレ! 大人のお子様ランチ 写真じゃ分からないが、超大盛り! |
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奥様の「ひろしのわがままホットケーキ」はシロップを切らしてしまい出来ません。 申し訳ないとのこと。 いえいえ、ちょうど良かった。 こんなに食べられないと心配していたところ。 大人のお子様ランチを二人で食べた。 |
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スパゲティーもあんなにでっかい! あんなに食べたら苦しくて運転できなくなる。 |
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ご馳走様でした。 味は大味だけど、量で満足 |
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駐車場に停まっていた車のナンバー 練馬、姫路、名古屋、千葉、京都、富山、所沢、そして水戸 さっき、群馬ナンバーも出ていった。 ココは名古屋だよ? ほんと、お前らももの好きだなぁ。←オマエが言うな! |
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9時57分、家路に着く | |||
渋滞情報 | |||
渋滞かぁ・・・。 | |||
しばらく走ると渋滞が始まったので、巻き込まれる前の岡崎ICで降りた。 暇つぶしに立ち寄ったのはココ! |
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岡崎公園 | |||
急な坂道を登ると、、、 | |||
龍城神社と、、、 | |||
徳川家康が生まれた城、岡崎城! | |||
家康公遺言碑 わが命旦夕(たんせき)に迫るといへども、将軍斯(か)くおはしませば、天下のこと心安し、されども将軍の政道その理にかなわず億兆の民、艱難(かんなん)することあらんには、たれにても其の任に代らるべし、天下は一人の天下に非(あら)ず天下は天下の天下なり、たとへ他人天下の政務をとりたりとも四海安穏(しかいあんのん)にして万人その仁恵を蒙らばもとより、家康が本意にしていささかもうらみに思うことなし 元和2年(1616) さすが!いい事言うなぁ。 (わが命ももうすぐ終わるが、将軍(息子?)がいるので、天下のことは心配ない。しかし、将軍が道をはずれ、多くの民がが苦しむことになれば、誰でもその座にかわるべし。 天下は、一人の天下ではなく、すべての人の天下である。たとえ、他人が天下とっても民が幸せなら、家康の本位でありうらみに思うことは無い) |
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岡崎城 15世紀中頃(室町時代)、西郷弾正左衛門頼嗣【よりつぐ】(稠頼【つぎより】)が現在の岡崎城の位置にはじめて城を築き、のちに家康の祖父である松平清康が入城し本格的な岡崎城を構えた。 1542年(天文11年)12月26日、徳川家康はここ岡崎城内で誕生した。江戸時代、岡崎城は「神君出生の城」として神聖視され、本多氏(康重系統/前本多)、水野氏、松平氏(松井)、本多氏(忠勝系統/後本多)と、歴代譜代大名が城主となった。石高は5万石と少なかったが、大名は岡崎城主となることを誇りとしたと伝えられる。 現在の天守閣は1959年(昭和34年)に復興され、3層5階の鉄筋コンクリート構造となっている。2階から4階は江戸時代の岡崎を紹介する展示室で、5階は展望室となっており三河平野を一望することができる。 |
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家康はこの城内で生まれた | |||
グレート家康公「葵」武将隊 緊急雇用対策事業の一環としてハローワークで一般募集された8名と名古屋を中心に活躍している俳優の小澤寛で結成されたPR隊 |
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天守閣の頂上にこんな看板があった。 ビスタラインってなに? ビスタラインの「ビスタ」は「眺望・展望」を意味し、大樹寺と岡崎城を結ぶ約3キロメートルの直線を「ビスタライン」と呼んでいます。 これは徳川三代将軍家光が、寛永18年(1641)、家康の十七回忌を機に、徳川家の祖先である松平家の菩提寺である大樹寺の伽藍の大造営を行う際に、「祖父生誕の地を望めるように」との想いを守るため、本堂から三門、総門(現在は大樹寺小学校南門)を通して、その真中に岡崎城が望めるように伽藍を配置したことに由来しています。 また、歴代の岡崎城主は、天守閣から毎日ここに向かって拝礼したとも伝えられています。 時は移り、岡崎城も再建されましたが、大樹寺から岡崎城を望む歴史的眺望は往時のまま(約370年前)で、門越しに望む岡崎城は、まるで額の中の絵のようです。 |
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逆ビスタライン 岡崎城から大樹寺を望むラインが逆ビスタライン |
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ビスタラインスコープ この円筒をのぞくと大樹寺の位置を見ることができる |
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あれか・・。 | |||
大樹寺 | |||
天守からの眺め | |||
降りる | |||
天守と礎石 岡崎城の天守は、田中吉政が城主の時代に創建され、その後地震等で倒壊したと考えられています。 一六一七年(元和三)本多康紀(やすのり)が城主の時、三層三階、地下一階で東に井戸櫓、南に付け櫓を付属した複合天守で再建され、二百五十余年後の一八七三〜一八七四年(明治六〜七)に破却されました。 現在一階にある大きな石は旧天守の心柱の礎石といわれ、心柱は三階まであったと考えられています。 心柱を有した天守の例は少なく、現存するのは世界文化遺産の姫路城のみです。また、現在の城郭内の石垣のなかでも天守台の石垣は古く、一五九二〜一五九六年(文禄年代)以前といわれています。 |
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岡崎城パワースポット 天下の英傑を生みし岡崎城。 そして、そのお城を支えてきた礎石。 どうぞ手で触れてパワーを感じてください。 あなたも偉業を成し遂げるかも・・・・。 撮影OK 待ち受け画面にどうぞ。 待ち受け画面にねぇ・・。(^_^;) |
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さて、、渋滞も解消したろう・・・。 再度高速に乗る。 |
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由比PAで休憩 12:30 |
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由比PA名物料理 ・桜海老のかき揚げそば ・ミニ釜揚げしらす丼 ・ミニ桜海老丼 |
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毎度の事で、厚木から横浜まではずぅ〜っと渋滞 あせらずのんびり。 |
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