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阿武隈高原SA |
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どひゃ~!!
カイリュウが現れた!!
これはすごい!!
すかさずゲット!! |
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磐越道を西に進む |
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雪国っぽくなってきた! |
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檜原湖に来た!
湖上でワカサギ釣りをやっている。
今度挑戦してみよう!! |
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雪道を下り・・・。 |
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いいなぁ・・・。 |
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はせ川に到着
日曜日は、「黒はせ川」 |
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何にしようかな・・・。 |
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これだ!
う~ん、、、しょっぱ~い~!(笑) |
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白虎隊の飯盛山にやってきた。
慶応四年(一八六八)八月二十三日(新暦十月八日)年齢が十六~十七歳で構成された士中二番隊の白虎隊士は猪苗代から十六橋を越えて進撃した西軍と戸ノ口原で交戦するも、敵の軍事力に圧倒されて退き、戸ノ口洞門をくぐってこの地に至った
炎上する城下を前に、玉砕か帰城かを巡って激論を戦わした。敵陣突入を提案する者もいれば、鶴ヶ城が簡単に落城するはずがないとして帰城を主張する者もいた。
しかし、最終的に「誤って敵に捕らえられ屈辱を受けるような事があれば、主君に対して大変申訳なく、祖先に対しても申訳ない。この場は潔く自刃し、武士の本分を明らかにするべき」との決断にはじめて全員が同意し、一同列座し南鶴ヶ城に向かって訣別の意を表し、全員が自刃した
後、一名が蘇生。その名は飯沼貞吉である
なお、鶴ヶ城開城はその一ヵ月後であった
平成二十三年(二〇一一)九月二十三日 (飯沼貞雄書白虎隊顛末記参考) 白虎隊の会 |
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白虎隊切腹の地から見た鶴ヶ城
どこだ??
逆光で分らない・・。 |
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松平 容保(まつだいら かたのぶ)公 弔歌の碑 |
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どこだ~?
気になる~。 |
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気になる!!
双眼鏡に100円を入れ鶴ヶ城を覗く。 |
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あった!
杉の森の中に天守が見えた! |
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宇賀神堂
創建は寛文年間(1661~1672)に会津藩三代藩主松平正容(まつだいら かたのぶ)が宇賀神を勧請し弁財天像を神像として社殿を建立した事が始まりです。
社殿は桁行3間、梁間2間、入母屋、銅板葺きの建物で中には戊辰戦争で飯盛山で自刃した白虎隊19士の霊像が安置しています。霊像は明治23年(1890)、白虎隊の墓碑を改修した際、大橋知伸(若松城下滝沢村出身の仏師)、田中治八によって製作されたものでフランス風の洋服(軍服)を着ています。 |
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さざえ堂 |
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さざえ堂 |
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天高し ピサの斜塔と さざえ堂 |
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足元注意 |
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厳島神社 |
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凍ってる |
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奥州飯盛山本参道 |
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白虎隊記念館
高速道利用者は2割引き
残念ながら終了 |
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水戸藩諸生党鎮魂碑 |
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飯盛山案内図 |
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さて、帰りますか。 |