予科練・佐倉城
2014.11.23

 
肉離れした足の状況

内出血した血が下に下りてくる。

ふくらはぎはパンパンで筋肉を動かすだけで痛い。


こんなときは湯治だろう・・・。

って事で、クルマに乗った。
9:30

あてもなく走ってここに着いた。
予科練平和記念館

「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称で、第一次世界大戦以降、航空機の需要が世界的に高まり、欧州列強に遅れまいとした旧海軍が、より若いうちから基礎訓練行って熟練の搭乗員を多く育てようと、昭和5年に教育を開始。

14才半から17才までの少年を全国から試験で選抜し、搭乗員としての基礎訓練をするもので、飛行予科練習生制度が始まってから、終戦までの15年間で約24万人が入隊し、うち約2万4千人が飛行練習生過程を経て戦地へ赴いた。

なかには特別攻撃隊として出撃したものも多く、戦死者は8割の1万9千人にのぼった。

館内撮影禁止のため撮れなかったが、当時の予科練生の教科書に驚いた。現在の高校生・大学生に匹敵する内容。英語、数学、物理等、メチャクチャ賢い連中だ!
こんな人たちが死んだんだ。日本にとって大きな損害だったのは間違いない。
雄翔館

予科練出身者の遺書、遺品等が展示保存されてある。
予科練平和記念館に隣接する陸上自衛隊の土浦駐屯地内にある。
戦車だ
予科練記念館(雄翔館)は、陸上自衛隊武器学校内にあり、予科練出身者やご遺族の方たちが、戦没者の慰霊・顕彰のために建てた施設で、遺書や遺影などを中心に展示。

予科練平和記念館は、予科練とはどのようなものだったのか、その歴史や成り立ち、阿見町とのかかわりなどを、写真や映像、資料などで紹介する町施設?
予科練の碑と雄翔園
予科練の碑は、支那事変から太平洋戦争にかけて散華した、予科練出身の英霊18564柱の慰霊を目途として予科練生存者等の寄金により、昭和41年5月建立されました。
碑の廻りの雄翔園は、水漬く屍の英霊が先輩、後輩供に肩を組んで、太平洋から日本の将来と平和を見守るように廻りには日本列島を形作っております。
太平洋の芝生は桜の花弁を、芝生廻りの敷石は錨を、芝生の中の七ツの石は七ツ釦と七ツの海を形象して作られております。
尚、池の廻りの石等は、日本全国から集められたものです。

雄翔館(予科練記念館)
雄翔館は、太平洋戦争において、卒業生の8割が、日本の勝利を信じ、潔く花よりも美しく散っていった海軍飛行予科練習生の生活や、英霊の遺書、遺品等を永く保存して、その遺徳を後世に伝えるために、昭和43年予科練生存者等によって建立されました。
建物は航空母艦を形象して作られ、屋上への通路は艦橋を、屋上は飛行甲板を現しております。
同館は昭和43年高松宮殿下同妃殿下をお迎えして開館され、以来毎日大勢のご見学の方々に深い感銘と感動を与えております。
雄翔園・雄翔館

陸上自衛隊武器学校には、旧海軍飛行予科練生生存者とその家族からなる、財団法人海原会によって、尊い命を失われた予科練出身者の慰霊と真の平和を願い、その歴史を正しく後世に伝えるため、予科練象徴の地である土浦海軍航空隊跡地の雄翔園(昭和41年)、雄翔館(昭和43年)が建設されています。
この施設は、海原会による全国唯一の施設として、今なお全国から多くの人たちが訪れているとともに、毎年関係者を招き慰霊祭が執り行われています。
貴重な予科練の歴史を未来永劫語り継ぐことにより、人々の記憶の中から予科練が忘れ去られることのないよう、雄翔園・雄翔館は、阿見町予科練平和記念館と一体的に観覧できるよう無料で開放しているものです。
 ↓ 次、行ってみよう! 
13:30


次に来たのは、ココ!

佐倉城址公園
国立歴史民俗博物館ってのがあった。

中を覗いてその立派さにビックリ!
やっぱ、国立の施設は違う!

しかし、敷地が広すぎる。
足が痛くて、リハビリのおじいちゃんより歩くのが遅い俺。
しかも、ふくらはぎが張ってきた。

ヤバイヤバイ!

ゆっくりクルマに戻る。
ぎんなんゲット!
あったあった!

百名城佐倉城址公園センター発見!
俺は足が痛いのでクルマで待機!
百名城のスタンプゲット!
センター内
天守閣
ジオラマ
佐倉城大絵図
佐倉城の大手門
城址公園というか駐車場

銀杏並木ではみんな一生懸命ギンナンを拾っている。
さて、帰り道ロッキーバーガーの看板を発見!
寄ってみる。
まるっきり昭和だ!
完璧!
漫画も当時のもの。
テリヤキバーガーとポテト

うまい!!


こっち方面は温泉無いよな・・・。
足も痛いし、帰ろう・・・、って事で、今回は一般道をダラダラ走って帰還。

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